世界遺産の【薬師寺】に参拝してきました。No.2

■金堂
「金堂」は享禄元年(1528)の兵火で西塔などと共に焼失しました。その後、豊臣家により金堂の仮堂が建てられ金堂は本格的に再建される筈でしたが、豊臣家滅亡などの事情により400年近く仮堂のままでした。

 

昭和51年(1976)に高田好胤(たかだこういん)師を中心とするお写経勧進によってようやく金堂は再建されました。
 

金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は、金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されていて、「堂内の荘厳は美をつくし、燈火がなくても金色に光り輝いていた」と伝えられています。
 

また、堂内には医薬兼備の仏様で別名を医王如来ともいう本尊薬師三尊像【国宝】が安置されています。

 

金堂1
 

■大講堂
「大講堂」は正面41m、奥行き20m、高さ約17mの伽藍最大の建築物で薬師寺白鳳伽藍の雄大さを象徴しています。

 

大講堂は、南都仏教が教学を重んじたことから、大勢の学僧が講堂に集まり経典を講讃できるように、古代伽藍の通則で金堂より大きく造られたそうです。
 

享禄元年(1528)の兵火で焼失し、平成15年(2003)に西岡常一棟梁の基本設計に基づき金堂以来一貫した裳階付の薬師寺独自の様式で復興されました。再建には伝統工法とともに現在の建築基準法に合わせ現代の技法も取り入れられています。
 

大講堂の本尊には彌勒三尊像【重要文化財・白鳳時代】が安置されています。また、後堂(うしろどう)には仏足石・仏足跡歌碑【国宝・天平時代】が安置され、その両脇に釈迦十大弟子(中村晋也作)が祀られています。

 

大講堂1
大講堂2
 

■南門【重要文化財】
「南門」は永正9年(1512)に再建されましたが、現存するものは江戸時代に西門を南門に移築したものとされています。
切妻造の四脚門で、南門から境内を臨むと、正面に中門、その彼方に金堂を拝することができます。

 

南門2
 

■玄奘三蔵院伽藍
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)(600または602~664)は、中国唐時代の歴史上の僧侶で「西遊記」でも有名です。インドで17年間学び、帰国後は持ち帰った経典の翻訳に専念しました。玄奘三蔵の最も究めたかった教えは「瑜伽唯識(ゆがゆいしき)」でした。

 

玄奘三蔵は法相宗の開祖に当たり、法相宗(ほっそうしゅう)はその教えを継承している宗派です。現在は薬師寺と興福寺が法相宗の大本山となっています。
 

玄奘三蔵院伽藍は平成3年(1991)に建立されました。中央の玄奘塔には法相宗の始祖・玄奘三蔵のご頂骨が真身舎利(しんじんしゃり)として奉安され、須弥壇(しゅみだん)には玄奘三蔵訳経像がお祀りされています。
 

また、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿には、平山郁夫画伯が30年をかけて制作した玄奘三蔵求法の旅を辿る「大唐西域壁画」がお祀りされています。

 

玄奘塔
大唐西域壁画殿
 

■休ヶ岡八幡宮【重要文化財】
「休ヶ岡八幡宮」は薬師寺の鎮守社として南門を出た向かい側にあります。寛平年間(889~898)に大分県宇佐から分霊され現在地に祀られました。社殿は本殿・脇殿ともに小高い石積みの檀上に建っており全体に西面しています。現在の社殿は慶長8年(1603)に建てられたものです。

 

休ヶ岡八幡
 

薬師寺白鳳伽藍には当時の平城京の壮大さと華やかさを想起させるスケールの大きさと壮麗さを感じました。また、歴史的な建築物を修復・再建することによって、歴史や文化そして建築的技術等を後世に伝えていくことの大切さを感じました。
(参照:薬師寺ウェブサイト・案内説明・パンフレット)

 

 

兵庫 リフォーム NEXST 片山でした。

 
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