■南円堂(なんえんどう)【重要文化財】
「南円堂」は、南円堂は西国三十三所観音霊場の第九番札所です。
弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願って建立した八角円堂です。南金堂は永承元年(1046)の興福寺焼亡をはじめ4度にわたり焼失と再建を繰り返してきました。現在の建物は寛政元年(1789)頃に再建されたものです。
南金堂は八角の一面は6.4m、対面経は15.5m、本瓦葺きの建物です。江戸時代後期に建てられたものですが、その手法はきわめて古様です。
基壇(きだん)築造の際に、地神を鎮めるため和銅開珎(わどうかいちん)や隆平永宝(りゅうへいえいほう)を撒きながら築き上げたことが発掘調査で明らかになりました。また、この基壇築造には弘法大師空海が係わったと伝えられています。
堂内には【国宝】の本尊不空羂索観音菩薩像(ふくうけんさくかんのんぞう)と四天王像(してんのうぞう)が安置されています。
■北円堂(ほくえんどう)【国宝】
「北円堂」は、わが国に現存する八角円堂の中で最も美しいと称賛される堂です。
養老5年(721)に元明太上天皇と元正天皇が興福寺の創建者である藤原不比等の一周忌追善供養のために建立されました。治承4年(1180)の焼失し、承元4年(1210)頃に再建されました。
北円堂は、伽藍内の西隅に建つ八角円堂で、八角の一面は4.9m、対面径は11.7m、本瓦葺きの建物です。鎌倉時代に建てられたものですが、奈良時代創建当初の姿をよく残しています。内陣(ないじん)は天蓋(てんがい)が輝き、組物間の小壁には笈形(おいがた)が彩色されています。
堂内には【国宝】の本尊彌勒如来像(みろくにょらいぞう)、法苑林・大妙相菩薩像(ほうおんりん・だいみょうそうぼさつぞう)、無著・世親菩薩像(むちゃく・せしんぼさつぞう)、四天王像(してんのうぞう)が安置されています。
■大湯屋(おおゆや)【重要文化財】
大湯屋は、寺院の入浴〔沐浴〕施設です。
奈良時代から設けられていたようですが、文献によると平安時代に記録が残っています。その後数度の焼失と再建を繰り返し、現在の建物は室町時代の応永33年(1426)頃に再建されたものと考えられています。
大湯屋は、正面4間(11.7m)、側面4間(10.6m)、本瓦葺きの建物です。屋根は西面が入母屋で東面が切妻の非対称であることから、大湯屋の東側に何らかの建物があったものと推察されています。
大湯屋で湯を沸かして東側の建物に送り、入浴や蒸し風呂にしたのではないかと考えられています。内部に床を敷かず、地面に直接鉄の湯釜が2個据えられています。
南の湯釜は、鎌倉時代に造られたものとされ、口径150cm、胴径186cm、高さ127cmでほぼ完全な形が残されています。北の湯釜は、平安時代に造られたものとされ、口径144cmで口縁の部分しか残されていません。
■本坊(ほんぼう)
本坊は興福寺の寺務を取り扱う所です。
表門は正面4.5m、側面2.6m、本瓦葺きの四脚門(しきゃくもん)で天正年間(1573~1592)に建立され、明治40年(1907)には菩提院(ぼだいいん)北側築地の西方に構えられていた門が移築されました。
南客殿は正面16.7m、側面10m、桟瓦(さんがわら)葺きの建物で増築されたものだそうです。
北客殿は正面20m、側面11m、桟瓦葺きの建物で、嘉永7年(1854)に再建されました。平安時代頃から僧侶が生活し学問に励んだ僧房(そうぼう)の伝統を受け継いでいるそうです。
持仏堂(じぶつどう)〔大圓堂(だいえんどう)〕は正面3間(7m)、側面3間(6m)、桟瓦葺きの建物で明治時代に建てられたそうです。
堂内には【重要文化財】の聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう)が安置されています。
■菩提院大御堂(ぼだいじおおみどう)
菩提院大御堂は、通称十三鐘(じゅうさんがね)としても知られ、また稚児観音(ちごかんのん)や三作石子詰(さんさくいしこづめ)の伝承があります。
また、中国から法相宗を興福寺に伝えた玄昉(げんぼう)僧正が住んでいたとも伝えられています。
このように大きな建物になったのは鎌倉時代に入ってからであることが、発掘調査の結果明らかになりました。
現在の建物は天正8年(1580)に再建されたもので、正面5間(17m)、側面5間(14.2m)の本瓦(ほんかわら)葺きで、正面に向拝(こうはい)が付いています。
堂内には【重要文化財】の本尊阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)をはじめ、不空羂索観音菩薩像(ふくうけんさくかんのんぼさつぞう)、稚児観音菩薩像(ちごかんのんぼさぞう)が安置されています。
■国宝館(こくほうかん)
「国宝館」は、宝物収蔵庫で正面9間(35.3m)、側面8間(31.8m)の本瓦葺き建物です。 元々は、僧侶が食事をするための建物である食堂(じきどう)が建てられていた場所だったようです。
昭和34年(1959)に耐火式の鉄筋コンクリート造で建てられました。外観は当時の食堂と細殿を復元し、内部では食堂と細殿(ほそどの)が連結されています。地下には、奈良時代以降の旧食堂の遺構がそのまま保存されています。
また、館内には【国宝】の本尊千手観音菩薩像(せんじゅかんのんぼさつぞう)を中心に、 【国宝】の阿修羅像などの乾漆八部衆像(かんしつはちぶしゅうぞう)や乾漆十大弟子像(かんしつじゅうだいでしぞう)、板彫十二神将像(いたぼりじゅうにしんしょうぞう)など興福寺の歴史を伝える仏像、典籍、古文書、絵画、工芸、歴史資料、考古遺物等が収蔵・展示されています。
興福寺は、他の多くの寺院のように境内を囲む塀が無く、とてもオープンな雰囲気を感じました。中金堂は現在再建工事中で拝見することはできませんでしたが、新たに復元された姿を観るためにまた訪れたいと思いました。歴史的な建築物が修復・再建されることによって、実物を実際に観て体感できることはとても貴重なことだと感じました。
(参照:興福寺ウェブサイト・案内説明)
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