■唐招提寺
世界遺産の「唐招提寺」に参拝してきました。
唐招提寺は唐の高僧鑑真和上によって天平宝字3年(759)に創建されました。
鑑真和上は聖武天皇の招きに応えて来朝を決意され、5度の失敗など多くの苦難の末に来日されました。来日後は、戒律を伝えるために東大寺で5年間過ごされました。
その後、新田部親王(にたべしんのう)の旧家を賜り、そこを「唐律招提」と名付け戒律を学ぶ道場とされました。これが「唐招提寺」のはじまりとされています。
鑑真の没後も、鑑真和上の弟子である如宝らにより、金堂をはじめ伽藍の造営は続けられました。現在では、奈良時代に建立された金堂や講堂は天平建築を代表する遺構となっています。
唐招提寺は南都六宗の一つである律宗の総本山とされていて、平成10年(1998)にはユネスコより世界遺産に登録されています。
■南大門(なんだいもん)
「南大門」は唐招提寺を訪れた人が最初に目にする門で、昭和35年(1960)に天平様式を模して再建されたものです。南大門は五間の中央を三扉とする切妻造りとなっています。
なお、現在掲げられている扁額(へんがく)は複製で、実物は講堂内に収蔵してあります。
■金堂(こんどう)【国宝】
「金堂」は奈良時代(8世紀後半)に創建されました。
金堂は正面7間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)奥行き4間の寄棟造り、本瓦葺きの建物で、南大門をくぐった正面に建てられています。
前面の1間は吹放しで8本のエンタシスの列柱が並び、三手先(みてさき)と呼ばれる軒を支える組み物は、豊かな量感と簡素な美しさを兼ね備えた天平様式をよく表しています。
堂内には、中央に【国宝】の本尊・盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)〔奈良時代〕、右に【国宝】薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)〔平安時代〕、左に【国宝】千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)〔奈良時代〕が安置されています。この他にも【国宝】の四天王立像(してんのうりゅうぞう)〔奈良時代〕などが安置されています。
■講堂(こうどう)【国宝】
「講堂」は奈良時代(8世紀後半)に平城京の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築したもので、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれています。
講堂は平屋の入母屋造り、本瓦葺きの建物で、平城宮の面影をとどめる唯一の宮殿建築の遺構とされています。
堂内には、【重要文化財】の本尊弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)〔鎌倉時代〕、【重要文化財】の持国天立像(じこくてんりゅうぞう)〔奈良時代〕と増長天立像(ぞうちょうてんりゅうぞう)〔奈良時代〕の他、多くの仏像が安置されています。
■鼓楼(ころう)【国宝】
「鼓楼(ころう)」は金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物で鎌倉時代の仁治元年(1240)に建てられました。
名称は「鼓楼」ですが、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれ、現在は鑑真和上将来の仏舎利が奉安されています。
鼓楼は入母屋造り、本瓦葺きの楼造で、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。
堂内の厨子には、仏舎利が収められた【国宝】の金亀舎利塔(きんしゃりとう)が安置されています。
この他にも【国宝】の「経蔵(きょうぞう)」「宝蔵(ほうぞう)」など幾つか歴史的に貴重な建築物がありますのでご紹介したいと思いますが、続きは後日にさせていただきます。
(参照:唐招提寺ウェブサイト・パンフレット)
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